虚空糞投

クソみたいなブログ

チョ・グクは祖国

チョグクという人のチョという姓は三国志曹操の「曹」と似ていて、縦棒が一つすくない「曺」というものなのだけど、機種依存文字なので文字化けしているかも。

 

韓国人のチョという姓はもう一つ、「趙」があるけど、おそらく当事者でなければ、どちらの「チョ」なのか気にしないと思う。

 

韓国は夫婦別姓だから子供は基本的に父親の姓を名乗り、母親の姓が何かは知っていても、祖母の姓を知らない人のほうが多いという調査結果を見たことがあるが、そんな具合だから、家族でもない人の「チョ」がどんな漢字なのかは知らないのが普通だと思われる。

 

私は韓国人ではないから、ただの予想なのだけど、多くの韓国人は「チョグク」と聞くと、「祖国」という単語を思い浮かべると思う。発音は全く同じ。そしておそらく、チョグクという名前をつけた人も、「祖国」という意味を意識してつけたと思われる。

 

ニュースの記事でも、「チョグク」が祖国を滅ぼす、みたいな使われ方もしている。

 

仮定の話ではあるけど、子供の名前を「祖国」とする親に育てられたら、日本人的な考え方だと右寄りの人になってしまいそうだけど、この人はガチガチの左翼。でも韓国の左翼は民族主義なので、狙い通りの子に育ったと言えそうだ。

 

日本のワイドショーなどでもよく取り上げられているように、左翼的思想で特権だとか利権だとかそういうものをなくそうとしているチョグク氏が子供の大学入試で不正を働いたとか、地位を利用した金儲けをしていたとか、疑惑があるだけでかなりまずいとおもうのだけど、世論調査では同氏の法務相就任に反対するのは5割を少し超えるくらいで、予想よりも反発は少ないように見える。

 

よく知らんけど、フェイスブックとかの韓国人の書き込みを見ていると、やはり既得権益を持っていない層は同氏の支持をやめていないようで…、韓国も生活が大変なのかなと思ってしまう。

 

 

日韓の歴史問題の解決方法について

イカイ反応通信というサイトは常用しているわけではないけど、韓国関係のブックマークを見ているとよくヒットするので気になったら見るような感じ。

 

同じような感じではてぶをみていたら、下記の記事がかなり多くのブックマークを集めていた。

 

blog.livedoor.jp

 

ざっと読んだ感想だけど、かなり自分の考えに近く、ある程度韓国のことを知るとそいういう考えになるのかな、などと思った。この管理人という方がサイト運営以外に何をしているのかなんて考えたこともなかったが、韓国語の翻訳をしているらしい。そういう意味でも自分と同じような立場にある。

 

この管理人さんは「日韓問題の改善の最大の争点は、韓国人の克日快楽症という依存症を治療すること」としている。

 

また克日快楽症に陥る理由について日本に立ち向かう行為は、自分を幼い頃から憧れていたスーパーヒーローにしてくれる体験」であるためとしている。

 

ではなぜ、日本に立ち向かう行為がヒーローになることになるのか。当たり前過ぎて書かれていないが、それは韓国人にとって「日本が絶対的な悪」であるからだ。

 

ならば、韓国人にとって日本が絶対悪である理由はどこにあるのか。多くの日本人は

「日本が加害者で韓国が被害者だから」と認識していると思われる。日本による朝鮮半島支配がどのようなものであったかという問題はあるにしても、ほとんどの日本人は日本が加害者で、韓国が被害者ということに異存はないのではないだろうか。

 

その一方で、加害国の国民ではあっても、自分が生まれる前のことであり、当事者意識は持ちようがなく、国同士が政治的な決着をつけたのなら、もう終わりにしてもいいのでは、とも思っているのではないか。若い世代の韓国人がなぜそこまで熱くなるのかわからない、という思いを抱くのが普通の感覚ではないか。

 

例えば慰安婦問題。ほとんどの日本人は慰安所なんて見たこともないし、利用したこともない。でも慰安婦という人達がいて、つらい思いをしたのだろうなというのは同意できる部分だと思う。

 

でも韓国人の多くは、映画やドラマや小説、漫画、テレビ番組などでみた架空の慰安婦をすべて事実のように捉えているように思える。

 

慰安婦という存在がどのような経緯で集められ、どういう扱いを受けたのか。日本人の韓国人も本当のところはよくわからないはずだ。日本人の多くは、「望んで慰安婦になった人もいただろうが、美味しい話に騙されたひともいただろうな」くらいのことは思っているのではないだろうか。

 

でも韓国人の認識はそんなもんじゃない。軍人や警察が若い女がいる家を一軒一軒まわり、銃口を向けながら、女を拉致し、トラックの荷台に家畜のように載せて連れ去った…。くらいに思っている人がほとんどのはずだ。

 

例えば、こんな記事があった。

news.yahoo.co.jp

 

ハン・ジミンという女優が慰安婦だった私の愛する母へ」という手紙を朗読したが、この手紙というのは、ハン・ジミンが書いたものでもなければ、実際に慰安婦の子供が慰安婦に宛てて書いたものでもなく、慰安婦の遺族の話をもとに作られたものという。

 

手紙の内容がどのようなものなのか知らないが、朗読を聞いた人は、本当の話として認識し、記憶していく。

 

慰安婦を扱った映画なども近年になって多数公開されているが、こういう映画の内容がどの程度、事実に基づいているかというのは関係なく、映像化されたものをみた韓国人の多くは、それを事実としてとらえ、「やはり日本は悪」という思いをより強固にしていく。こういう証拠は無限に作られていくのだから、韓国人は当事者意識を持ち続け、怒りを維持し、前述の克日快楽症を患い続けるのだと思う。

 

韓国人はよくドイツのように謝れということをいうが、これも日本人が韓国人を根絶やしにしようとしていたという認識があるせいだと思う。

 

旭日旗にしてもレーダー照射にしても、「日本は悪」という証拠は次から次へと作られていき、その真偽は疑われることはなく、常に補強されていく。だから日韓の歴史をめぐる問題を解決するために日本ができることはなく、韓国が変わるのを待つしかないわけだ。

 

まったくわからん

僕は約14年間、韓国に住んでいた経験があり、韓国語もかなり流暢に話せて、韓国のニュースは韓国語で毎日読んでいるけど、はっきりいって韓国、あるいは韓国政府が何を考えているのかさっぱりわからん。

 

韓国側は絶対に譲歩しないだろうし、日本側は根本的な経緯はどうであれ、現時点での法的な優位性は確保していると思われるから、(つまり国際法的に正しいから)譲歩する必要はなく、このまま行けば日韓関係は破綻すると思われる。

 

韓国人と結婚して、韓国人の家族がいる僕には日韓関係が家庭にもあるわけだから、破綻は困るだろうけど、一旦破綻することで何かが始まるようなワクワクも少しはあるわけで。

 

過去と未来は対極にあるわけではなく、一つの延長線上にあり、切り離して考えることはできないが、それでもどこかで過去と未来を切り離さないと…

断つことを決めた日

迷ったときは、自分にとってよりキツイ方を選ぶ。ありきたりだけど、僕の行動規範の一つだ。

 

夜中に腹が減って、インスタントラーメンを食べるかどうか迷ったとき、この規範に則り、僕は食べないことを選択する。スクワットを50回するか100回するか迷ったとき、僕は100回を選択する。あくまでも迷ったときの規範だから、迷わず食べてしまったり、迷わず50回で止めたりすることも多い。

 

迷って決断した結果の影響力が自分にのみ及ぶのであれば、「食べよっかな、どうしよっかな」などと、迷うこと自体を楽しむこともできるし、どのような決断をしたところで大きな後悔もないだろう。だが重要な決断とはほとんどの場合、自分以外の誰かのに何かしらの影響が出るものだ。

 

大学4年の8月の第1土曜日の明け方、東京で一人暮らしをしていた僕のアパートの家電話が鳴った。母親がくも膜下出血で倒れたことを知らせる警察からの連絡だった。

 

バイクに乗り、おぼろげな記憶を頼りに厚木方面に向かい、気づけば東名高速に乗っていた。制限速度をかなりオーバーしていたが、警察に捕まったら「母が危篤なんです」と言ってみようと思い、あまり気にしなかった。焦っているつもりはなかったが気がつくと速度が上がっていて、ずいぶん飛ばしたと思ったが、それでも病院に着くと11時近かった。

 

外科病棟に向かいナースセンターで名を告げると、看護師が飛び出していき、パタパタというスリッパの音とともに小走りで医師がやってきた。

 

母親の脳内の血管の写真を見せられ、現状の説明を受け、出された書類に名前と日付を記入した。要するに、手術の結果、どうなっても病院は責任を負えないという内容なのだと思った。手術室が確保され次第、手術を開始するという。

 

午後2時ごろから手術が始まり、午後7時ごろから遠くで花火の音が聞こえてきた。この日は地元の花火大会で、僕は母が倒れることがなかったとしても、花火に合わせて帰省する予定を立てたいた。8月の第1土曜日とはっきり覚えているのは、母親が倒れたからではなく、母親が花火大会の日に倒れたからだ。

 

あとから分かったことだが、母は僕が花火大会に合わせて帰ってくるからと言って、行きつけの寿司屋に予約を入れに行き、そこで知り合いに会ってスナックに移動し、カラオケを歌いながら後ろに倒れたのだった。

 

午後9時を過ぎて花火の音はしなくなったが、手術は続いていた。結局終わったのは日付が変わった午前0時過ぎだった。

 

母がとりあえず死を免れた後、僕は次々と決断を迫られることになった。

 

母は妻子のある中小企業の社長と交際していて、その男から金を借りていた。母が倒れたことを知ったその男は僕に返済を迫り、水道配管工は稼げるなどと言ってきた。男がそのようなことを言ってきたのにはある程度の根拠があり、僕は以前母に頼まれて、「母に何かあった場合は私が責任を持って返済いたします」という念書にサインしたことがあったのだった。金を返せと言ってくるこの男の申し出をどのように扱うのか決断する必要があった。

 

母は小さなブティックを経営していた。これをどうするべきか悩み、母親が師と仰いでいた別のブティックの女店主に相談した。女店主は「私が取引先に連絡しておくからなんにも心配しなくていいでね」と言ってくれた。その翌日には取引先の営業担当が店に乗り込んできて、見舞いの言葉は一切なく、買掛金の責任は誰が取るのかと詰め寄ってきた。このとき僕は鬼の形相というのを知った。店をどうするのか、また店の経営に関する負債をどうするのか決断する必要があった。

 

母は消費者金融からも金を借りていた。また地元の信用金庫や商工会議所などからも金を借りていた。すべて合わせると2000万円近くあった。

 

僕が高校まで住んでいた家は、僕の高校卒業と同時に売り払われてしまったため、地元に僕の実家はもうなかった。母は「買ったときより高く売れた」と言っていたから、少なくとも1000万円以上にはなったはずだが、それでも借金は2000万円近くあった。この借金をどうするか決断する必要があった。

 

大学4年の夏休み中だった僕は、残る後期分の授業料をどうするべきか決断する必要があった。

 

こうして書いてみると、けっこうヘビーな内容だったように思うが、結局のところ、僕がしたのは市がやっている法律相談で弁護士に相談し、母親を自己破産させる手続きをすることだった。特に迷う余地はなかった。

 

僕がそのとき決断だと思っていたことは、本当の意味での決断ではなかったのだった。

 

母がくも膜下出血で倒れ、個人としては結構な額の借金を背負わされそうになり、頼れる人もなく、多くのことを一人で決める必要があったが、ほとんどのことは迷う余地がなく、そうせざるを得ない状況だった。そんな僕が迷いに迷い、20年以上たった今も正しことだったのか判断できない本当の意味での決断を、当時一つだけした。

 

僕はオーストラリアの大学院で言語学を学ぶことを目標に、何年もかけて準備をしていた。バイトをして金を貯め、英語の勉強をし、現地で役立ちそうな資格を取った。

 

母は死ななかったが、死ななかったことで生きていく必要が生じた。障害も予想よりも軽度で、一人で生活することは可能ではあるものの、以前と同じようには働けない。

 

その母の生活を支えるため、日本で就職し、母親を恨みながら妥協して暮らしていくか。あるいは予定通り、オーストラリアに行くか。

 

決断がどのような由来でできた言葉なのか知らないが、英語の「decision 」には削る、断つ、殺すというような意味が含まれているのだそうだ。

 

母を恨みながら母のために日本で就職するほうが、自分にとってはキツイ選択だと思った。8月の時点で一切就活をしていなかった僕がまともな企業に入れるとは思えなかったが、放置していた就職に関する資料を手に取った。夏以降に志願できる企業を探したりしていると、いつの間にか自己憐憫に陥り、自分が悲劇の主人公になったような気がした。母のために自分を捨てて生きるのはある意味では楽なことではないかと思うようになった。

 

それで僕は、母を捨てることを決めた。母を捨てて、自分が生きたいように生きようと思った。生まれや親のせいにしないで、自分の努力で道を切り拓いていくことを選んだ。そのほうがずっとキツイはずだと判断した。母親もいろいろ問題のある人ではあったものの、自分のせいで僕が嫌々生きていくことを望むような人ではなかった。

 

くも膜下出血で倒れて障害が残った母親との関係を絶ち、亡き者として扱う。それは誰かのせいにせず、自分がしたいことを自分で決めることだ。僕の決断を母は支持してくれたのだろうか。

 

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「推進」について

韓国聯合ニュースのこちらの記事を読んで、ずいぶんと「推進」が多いと思った。

yna.kr

 

5段落の記事に5個の「推進」があり、タイトルにも「推進」が入っている。

その部分を抜き出してみる。

 

1.조속히 추진할 수 있도록 노력하겠다고 밝혔다.

 

2."그런 부분들을 남북 간에 그리고 국제사회와 협의해 나가면서 지금 추진하고 있으며, 작년부터 시작이 됐다"

 

3."보통 명절을 계기로 추진하는 방향으로 하고 있다

 

4."가급적 빠른 시일 내에 추진될 수 있도록 노력하겠고 일정이 확정되면 알려드리겠다"

 

5.남북 양측은 내달 초 설 명절을 계기로 화상상봉을 하는 방안을 추진 중인 것으로 보인다.

 

だが、同サイトの日本語版の記事では「推進」は一つに減っている。

 韓国版に合わせてみると

 

1. 조속히 추진할 수 있도록 노력하겠다고 밝혔다.

→速やかに実施できるよう努力するとの方針を示した。

 

2."그런 부분들을 남북 간에 그리고 국제사회와 협의해 나가면서 지금 추진하고 있으며, 작년부터 시작이 됐다"

→「そのような部分について南北間で、また国際社会と協議しながら、現在進めており、(協議は)昨年から始まった」

  

3."보통 명절을 계기로 추진하는 방향으로 하고 있다

→、旧正月中秋節などの特別な祝祭日を機に実施するのが通常

 

4."가급적 빠른 시일 내에 추진될 수 있도록 노력하겠고 일정이 확정되면 알려드리겠다"

→「できるだけ早い時期に実施できるよう努力し、日程が確定すればお知らせする」

 

5.남북 양측은 내달 초 설 명절을 계기로 화상상봉을 하는 방안을 추진 중인 것으로 보인다.

→南北は来月の旧正月(2月5日)を見据えて映像による再会実施を推進しているものとみられる

 

このようになる。これだけ見ると、どうやら韓国語の「推進」は日本語の「実施」に近いようだと推し量ることができそうだ。

 

 推進をGoo辞書でみると、

1)物を前へおし進めること。「スクリューで推進する」

2)事業や運動などを達成するように努めること。「合理化を推進する」とある。

 

一方、同じ漢字を使う韓国語の「추진」はNAVER辞書によると、

A)물체를 밀어 앞으로 내보냄、

B)목표를 향하여 밀고  나아감

 

とある。日本語に訳すと、

A1)物体を押して前に進めること、

B1)目標に向かい推し進めること

となり、辞書的な意味は日韓でほとんど同じであるようだ。

  

では、日本語訳で「実施」となっている部分を「推進」に戻すとどうなるか。

 

 

1.速やかに実施できるよう努力するとの方針を示した。

→※速やかに推進できるよう努力するとの方針を示した。

  

旧正月中秋節などの特別な祝祭日を機に実施するのが通常

→※旧正月中秋節などの特別な祝祭日を機に推進するのが通常

 

4.「できるだけ早い時期に実施できるよう努力し、日程が確定すればお知らせする」

→※「できるだけ早い時期に推進できるよう努力し、日程が確定すればお知らせする」

 

 違いがはっきりと感じられるのは1と3で、いずれも、「再会行事の実施に向けて、協議などは推進しているが、まだ実施していない」という意味が、「推進すらしていない」という意味に変わっている。

 

 

日本語の「推進」は「推し進める」という訓読みのように、「はかどらせる」「発展させていく」という意味が残るが、韓国語の場合は、「推す」よりも、「進める、進行する」という意味が強く残り、日本語の「実施する」に近づいたのではないか。上の2,3.4は「進行する」でも意味がほとんど変わらない。

 

このように、日本語と韓国語は同じ漢字を使っていても、意味が微妙に異なる場合が多々あり、ハングルで表記された漢字語をそのまま漢字にしても意味が通らない場合があるから気をつけなければならない。

 

レーダー問題が気になって仕方がない・その2

 前回、「レーダー問題が気になって仕方がない」ことについて書いた。

 

 

 

throws-poop.hatenablog.com

 

 言いたかったのは、「韓国のことが特別好きというわけではないけど、愛着のようなものは持っているため、これ以上無様な姿を晒して、世界、あるいは日本から蔑まれるのは忍びない」というものだった。

 

 

 11日付の聯合ニュース日本語版でこのような記事が出た。

 

yna.kr

 

 韓国が北朝鮮に配慮して、国防計画で使用する用語を変更し、韓国の敵が北朝鮮を主敵とするような表現を避けたというような内容だ。

 

 北朝鮮に配慮、とな。

 

 文在寅ムン・ジェイン)大統領は両親が北朝鮮側の出身らしく、そのせいか一貫して親北的な政治を行っているけど…。日本には全くと言っていいほど配慮する気がないように見えるが、人権侵害の政治を続け、核兵器を作っては脅迫を続ける国には配慮とな…。

 

 レーダーの問題も、これが中国や北朝鮮であれば、素直に過ちを認められない事情があるのだろうと思い、これほど気にならなかったと思う。だけど韓国は西側陣営で中朝とは異なる相互理解があるものと思っていて、なんでそんな態度を取るのだろうと不思議で仕方がなかったが、やっぱり韓国は日米よりも中朝のほうにシンパシーを感じちゃってるってことなんだろうか。少なくとも現大統領は。

 

 

レーダー問題が気になって仕方ない

 いわゆる、「レーダー問題」について思うことを書いておきたい。

 

 韓国の聯合ニュースに下記の記事が出たとき、僕は「火器管制レーダー」を他国の航空機に使用する意味というのをよく知らなかった。また記事の中でも「日本側に誤解がないよう十分に説明する」というコメントがあったため、「なんらかの誤解があり、説明すれば終わる話なんだな」という程度の感想しか持たなかった。

 

yna.kr

 

 その後、日本側は一貫してレーダーの照射を受けたと主張し、再発の防止などを訴えている。一方韓国側は、レーダーは使ったが照射していない、レーダーを使っていない、レーダー云々より哨戒機の低空飛行が威嚇的だったなどと、言っていることが変わっているように思える。

 

this.kiji.is

 

 どういうわけか、僕はこのニュースが気になって仕方がなく、スマホを見るたびに、あるいはPCでブラウザーを立ち上げるたびに、関連ニュースを探しては内容を確認している。さらにははてなブックマークでネットユーザーの反応を見たりしている。

 

 なんで僕はこのニュースがこれほど気になるのだろう。

 

 僕は20代の半ばから約15年にわたり韓国で暮らし、韓国語もネイティブとは言わないまでもネイティブに準ずるレベルで扱うことができる。しかも日本企業の現地駐在員として韓国の日本人社会で過ごしたのではなく、どちらかと言えば韓国人社会の中にどっぷりつかって暮らしていた。

 

 だから韓国人も付き合ってみれば、良いヤツ、嫌なヤツの比率は日本人と変わらないし、むしろわかりやすくてさっぱりしたヤツが多く、付き合いやすいくらいのことを体験として知っている。

 

 さらに言えば、韓国は反日だと言われていて、実際にそのような側面はあるものの、どこかで日本を認めていて、無条件に見下すようなことはしない、と感じている。

 

 でも今回の事件が「どちらかの誤解」あるいは「双方の誤解」でなければ、韓国あるいは韓国人が、日本または日本人を無条件に見下していることになるのではないだろうか。下記記事もそのような推測を元にして書かれている。

president.jp

 

 慰安婦問題だとか徴用工問題だとかは、過去の歴史に起因した問題であり、個人と国、個人と企業の問題だ。だから納得できない主張があっても、その個人に納得できないだけで、韓国人全体の問題とは感じにくいのかもしれない。

 

 でも今回のレーダー照射問題は国と国、あるいは軍と軍の問題であり、もし韓国側の主張が日本軽視に起因したデタラメだったとすれば、「韓国は日本をどこかで認めていて、無条件に見下すようなことはしない」という僕の感覚が根本から否定されることになる。

 

 世の中には不思議なことやわからないことがたくさんあり、僕は自分が無知であることを自覚する程度の知性は持ち合わせているつもりだけど、日本と韓国がそれぞれ提示した証拠の映像をみると、日本の主張を捏造だとか歪曲だとか言うのは難しいように思える。韓国は反論すればするほど無様で、蔑まれるように思える。

 

 僕はどちらかと言えば保守的な考え方を持っているけど、韓国での経験から、(当たり前のことだけど)無条件に韓国人を嫌ったり、韓国を低く見たりはしない。だけどもしも今回のレーダー問題で、韓国が意図的に何かを隠したりごまかそうとしたりしているのだとすれば、僕は韓国に感じている自分の感情を疑うことになるなるだろう。